創業スピリット

Founding Spirit

代表取締役会長 宮崎 勝

掲載:2003年1月

01. 創業当時の発想で現在まで

当社は1969年創業ですが、基本的には創業当時に考えたことの1つを現在も行い続けています。すなわち、「継続性」が当社のキーワードです。

当社は創業から17年間は非常に順調に推移しました。このころのコンピュータは未知数で、人真似などしようにもできなくて、全部自分で考えなければならない時代でした。ただ、そのころから、いわゆる便利屋の仕事はしないと決めていました。

何かをおこなえばそれが発展して、継続的に展開できるような形を常に考えていました。私の発想は非常に製造業的だと思います。コンピュータは創造の産物で、創っていくものだから当然かもしれません。

当社は当時から特定業種に対して出来合いのコンピュータ・システムを提供するというパッケージ展開をしてきました。ようやく医療、産業、教育、自治体の4つのシステムをつくりあげ、一気に拡販しようとして見事に失敗。それだけの力がないものが一気にやろうとしたので、一気に業績不振となり、結局、規模を縮小、選択・集中せざるを得なくなったのです。 18期から25期までの約8年間は非常に苦しみました。しかし、25期で底を打ち、26期からようやく思うような形になってきたのです。

02. 1994年、コンピュータ革命がプラスに

当社が26期を迎えた1994年、コンピュータ業界は激変しました。1994年、ウインドウズが発表され環境が変わり、以降、当社は順調に成長し始めたのです。「ネットワーク」「オープン」「ダウンサイジング」「マルチメディア」のいわゆる、ネオダマ環境が、非常に追い風となったのです。

1994年以前はコンピュータの世界は非常に閉鎖的で、ハードウェアもOSもすべて、特定メーカーのものでした。我々のアプリケーションはハードウェア・OSがなければ商品にならない。我々はアプリケーション、つまりハードウェア・OSにのっかるものなのでハードウェア・OSがなければ商品にならない。しかし、I社はI社の世界、F社はF社の世界、N社は……と決まっていて、すべてのハードウェア・OSに対応することは非常に難しく、当社独自でハードを調達しなければなりませんでした。当然、ハードウェアもOSも購入する必要があり、コストが高くつく。大手メーカーに、色々な面で負けていました。

その上、当時、ソフトウェアはオマケのように思われていました。要するに、ハードウェア、OS、アプリケーションは「ブラックボックス」の状態で3つに関する価格は非常に不透明だったのです。

それが、1994年、オープンな環境ハードウェアはハードウェアで機能的に共通化され、OSも地球規模でオープンになった。ハードウェアに関してはインテル社がオープンハードウェアをすべて提供する、OSに関しては、マイクロソフト社がウインドウズという形でそれだけを販売するようになった。ということは、ハードウェアもOSも手に入れることができ、しかもそれが汎用性を持っていたので、当社も大手と同じ土俵で商売ができるようになったのです。

03. 創業以来のノウハウの蓄積が『商品』

ソフトウェア業界はほとんどが請負です。しかし、私は一貫して自社で開発し販売することにこだわってきました。それが創業スピリットであると思っています。そして、当然、現在でもそれが当社のべ一スです。

しかし、競争の世界ですから、商品力がなければ難しい。リスクもあります。このため日本のソフトウェア業界は受託・派遣などに偏ったわけですが、私は創業時から自社の商品をもつということにこだわり続け、それが今日のベースになっています。

といっても、あらゆる分野を網羅できるわけがありませんので、医療に絞り込みました。なぜ医療であったかというと、やはり、医療業界のもつ将来性と当社内部の人材の適性、そして当社の技術の蓄積から、一番ふさわしいと判断したのです。

もちろん、最初には病院の経営者の方との出会いがあります。当社は1969年の創業ですが、その1年前に、コンピュータの技術を教えるスクールをつくりました。そこに、大阪市内のある病院の院長先生が「コンピュータを買ったものの使い方がわからない」と勉強に来ておられました。会社をつくって半年後に、その先生から相談を受け、1年半ほどかけて病院業務を調査し、システムを構築、当時のコンピュータにのせる作業をビジネスとしてさせてもらいました。

そのノウハウをほかの病院にも展開し、次の病院のノウハウもまた蓄積をする。その繰り返しを創業以来、毎年毎年丁寧に継続してきました。このようにして当社の商品をつくりあげてきたわけで、年輪のように知識を集積してきたことは自社のことながら「すごいことだ」と思います。ソフトウェアの会社はたくさんありますが、過去の蓄積をこれだけもっている会社はなかなかありません。それは過去から一貫して継続をしているからで、コロコロ変えていたのでは蓄積などできません。

04. 年俸制、フレックスタイムで自立した人財養成

当社の仕事は人がすべて、商品とは人材のことであるともいえます。まさに「人財」です。また、フレックスタイムを創業当時から採り入れ、なるべく働きやすくしています。そして新卒から100%年俸制を採用しており、年に1回、実績7割、能力2割、意欲1割で評価し、年俸を更新しています。

当社は独創的なことをやり、顧客にも自己主張をしてきました。そこで働く人も当然そうでなければならず、私は社員一人ひとりが自立して自分の価値を主張し高めてほしいと願っています。

05. 電子カルテ化の流れに乗り拡大路線を

当社は特定業種に的を絞ったパッケージソフトをつくって展開をしていますが、ほかに特定業務に絞り込むというケースもあります。特定業務とはたとえば財務だけ、人事・給与関係だけ販売管理だけなどですが、それはERPといわれ、ほとんどドイツやアメリカの会社の独壇場で、日本の企業は弱い。しかし、この方向に進むのは間違いではありません。 私は日本の場合は特定業務ではなく、特定業種向けにやった方がいいと思うし、そういうところは今後、増えていくと思います。

1963年からこの業界で生きてきた私には大体、今後どうなっていくかがわかるのです。今までのことをすべてみてきたし、経験してきた。何やらのひとつ覚えで、これだけを続けてきたので、完全に5年10年は見通すことができます。ただ、過去には見え過ぎて失敗したこともありましたが、今後はないと確信しています。

当社の見込顧客である病院は、全国に約9,200施設(2003年当時)ありますが、今後は相当数の淘汰が進むと私は予想しています。しかし、病院がなくなることはない。そして病院のIT化は他の業界に比べて遅れているので、今後、積極的に取り組む病院が増える。しかも、IT化を行政が後押ししています。

今後、当社は電子カルテマーケットの20%から25%ぐらいのシェアを押さえたいと考えています。そのため人財の採用・育成を増強しています。

06. 「I・T・S」 時間かけ本物にしてこそ

拡大できる十分な可能性を前提にした激変の中で、当社は「I・T・S」これに打ち込んでいます。当社の商品は100%自社でつくっています。ですから、人材が一番大切なのです。

私には3つのポリシーがあります。その1つ目は専門特化すること。オンリーワンでなければなりませんから選択・集中をする。過去にせざるを得なくて、それが正解であったと。これからも専門特化の道をいきます。

2つ目は自主独立というか、自社で開発も販売もする。当社の場合は病院にコンピュータを使いこなしていただくために、4ヵ月~8ヵ月かけて導入指導をしています。さらに、使っていただいている間、保守・メンテナンスもあります。これらを一貫して、すべて自社でやっているということが非常に大切です。

3つ目は付加価値ではなく「創造価値」クリエイティブ・バリューを追求するということです。当社の場合はまさに創造価値をつくったといえるかと思います。

「I・T・S」という言葉があります。「I」はインテリジェンス(Intelligence)、専門的分野における知識です。当社の場合、病院の方々が持っている知識を我々も共有しなければなりません。「T」はテクノロジー(Technology)、当社の場合はコンピュータという技術です。「S」はサービス(Service)、頭を使うだけではなく、汗を流さなければやはりダメだということです。すなわち、顧客とのフェイス・トゥ・フェイスが必要だということです。

当社は開発・営業・導入・保守すべて「I・T・S」をベースに一貫したサービス行っています。私たちは学者ではないので、「I・T」だけではダメで「S」がつかなければ、創造価値はつくれません。特許を取っただけではメシは喰えないのです。

言い替えれば、「頭と足と気をつかわなければビジネスとして成り立たない」ので、当社は継続して「I・T・S」を実践してきたと思います。

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